2011年3月9日水曜日

箕島高校尾藤監督 スマイルありがとう

信じられない!和歌山県立箕島高校野球部の元監督「尾藤公」さんが6日亡くなったなんて・・・

小学校3年から少年野球を始めた私は、当時和歌山代表だった箕島高校の甲子園の活躍に夢中だった。箕島のユニフォームがかっこよく見えた。テレビにかじりついては、一球一打に歓声を上げたことを思い出す。箕島は接戦に強く、手に汗握る試合が多い。また対戦相手も名門・強豪が多くて見ててもドキドキする試合が多かったな~。



猛練習の「鬼の尾藤」と、テレビに映る仏のような微笑みの「尾藤スマイル」は有名な話。和歌山みたいな人口の少ない田舎に全国制覇する箕島はかっこよかったし、今でも和歌山のチームが野球は強いのは少し自慢。
鬼監督から「尾藤スマイル」に転じたきっかけは、エラーした選手の緊張をほぐすための笑顔だったという。「笑ってくれたら、やりやすい」と選手たちの言葉に動かされた。だが、練習は厳しく基本を鍛え、試合では笑顔で選手の力と自主性を引き出す。多くの監督に「野球観が変わった」と言わしめた。

私も同じく、箕島野球、尾藤監督を見て沢山のことを学び影響を受けています。尾藤スマイルは私にとっては記憶から消える事はないし、勉強になりました。ご冥福を祈ります。

高校野球に箕島あり  高校野球に尾藤あり




箕島高校
春:出場9回・24勝6敗・優勝3回(1970年、1977年、1979年)
夏:出場7回・13勝6敗・優勝1回(1979年)
通算:出場16回・37勝12敗・優勝4回

尾藤公(びとう ただし) 監督歴1966~1972、1974~1995
有田市に生まれる。箕島高校では4番で捕手を務める。近畿大学中退後、銀行員となる。1966年、箕島高校監督に就任。東尾修投手を擁して監督3年目の春に初の甲子園出場を果たす。
1970年春には、島本講平投手を擁し、甲子園で初優勝。その後、1979年には石井毅と嶋田宗彦のバッテリーで春夏連覇するなど、1995年夏に退くまで春8回、夏6回甲子園出場。春3回、夏1回の優勝経験を持つ。監督として甲子園通算35勝10敗、勝率0.778。(甲子園出れば勝つイメージだったな~)
1979年夏の3回戦での星稜高校との延長18回の熱戦は、今も球史に語り継がれている。
戒名は「顕球院釈公道(けんきゅういんしゃくこうどう)」
◆尾藤さんの言葉◆
 「私の基本はほめて育てること。
  選手がどん底に落ちる前に、まず自信をもたせるんです」


 「野球というのは素晴らしいスポーツですよ。
  球技で、人間が得点するのは野球だけ。サッカーの場合はボールだし、ラグビーはボールと人の両方。
  でも、野球は人間だけ。だからこそ、人間臭いドラマが生まれる。
  野球というのは人生の縮図、社会の縮図ですよ」

 (レギュラーと補欠、敵味方の隔てなく球児をいとおしみ、よく選手に語りかけた)
 「お前らの心を知りたい。おれの心を知ってほしい。恋愛と同じや。おれはお前らと恋愛してるんや」

 「一番大事な場面やから好きにやれ」

 (若い監督に対して)
 「もっと見守ってもっと許すことが大事かな。一生懸命やっているけど、余裕がないんかなあ」

箕島対星稜 (第61回全国高等学校野球選手権大会3回戦)  動画をどうぞ


追悼 箕島高校元監督 尾藤公氏 動画をどうぞ


バントに代表される細かさと豪快な長打力、粘り強さが身上。
「漁師の判断力、ミカン農家の忍耐力、商人の融合力」と地元の特性を生かした。
「選手と恋愛している」と情愛を傾け「一期一会一球」を座右の銘とした。

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