1995年1月17日5時46分
当時を思い出すと…私は社会人5年目、一人暮らしをしており、会社には内緒で夜も働いて、疲れ切った体を休めていた時。京都市内で体験したあの揺れで震度5。揺れがおさまった後、近所で火災が発生してないか、どこかで崩壊してないかと窓を開け確認したり、近所を見て回ったり~ その後、神戸の状況がテレビや新聞などで繰り返しながれていた事を思い出します。
神戸の震度7ってどれ程のすごい揺れだったのか…
6434人が亡くなった阪神大震災は今日、発生から16年を迎え、犠牲者の名前が刻まれた「慰霊と復興のモニュメント」では発生時刻に合わせ、市民らが黙とうをささげたそうです。
私にできることは「忘れない事、伝える事、備える事」
兵庫県や神戸市は震災が原因で身体障害を負った「震災障害者」328人を昨年初めて認定し、支援策を検討。自治体が被災者に低家賃で提供する「借り上げ復興住宅」の20年間の入居期限が数年後に迫り転居問題が浮上するなど、被災地にはなお課題が残っている。また神戸市では、震災を直接体験していない市民が約4割を占め、記憶の継承も大きな課題。
竹灯籠が1・17の形に並べられた東遊園地には、家族や知人を亡くした市民らが未明から集まり、犠牲者に黙とうするなど、各地で夜まで追悼行事が続く。
【防災とボランティアの日】
1995年に発生した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)では、国や地方自治体の危機管理体制の不備をはじめとする様々な問題が浮き彫りにされた一方で、ボランティア活動が活発化し「ボランティア元年」とも言われた
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